サッカーとは存在論である/The football is the ontology.

 就学前の子供たちにサッカーをさせるとボールの周りに密集ができる。いわゆる 「だんごサッカー」の状態になる。これは彼らにとってボールを蹴ることこそが、サッカーの本質であることを表している。 ボールに触れずして何をもってサッカーと呼べるのか、と言わんばかりの彼らの意思表示である。ところがゲームを重ねるにつれて、あるプレイヤーが密集から離れてゴール付近で待ち伏せするようになる。彼にとってサッカーの本質とはボールをたくさん蹴ることではなく、より多くゴールネットに蹴り込むことである。 彼はゴール前で陣取り、彼にとってのサッカーの本質を全力で体現する。
しかしその彼にとってのサッカーの本質も順風満帆とはいかないだろう。ゲームによってはいくら待っても彼の足元にボールが回ってこなかったり、後々オフサイドのルールを適用されたりすると彼の理論は試練にさらされることになる。

試合開始のホイッスルが鳴らされてから終了まで、プレイヤーの一挙手一投足は彼のサッカーの本質を体現する。全力疾走していても立ち止まっていても、あらゆる瞬間にどこで何をしているかは、各プレイヤーのサッカーの本質に対する態度表明となるのだ。それは未熟な子供からベテランのプロサッカープレイヤーまで同じで、それぞれの存在意義の証明なのだ。