守備を巡る物語

ある日の試合で、丁君と乙君と甲君が守備をした。

丁君がボールへの強い執着心を見せ、持ち前の集中力と反射神経の良さを発揮して相手のボールを見事に奪った。

皆が言った。

「ボールを奪い取る丁君の守備は素晴らしい」

しかしコーチは言った。

「ボールを奪取したのは手柄だけど、丁君は守備をしていなかったよ」

続いて乙君がボールホルダーにアプローチした。体を斜に構えて背後の味方と協力し合うように、相手との距離を詰めていった。ボールホルダーは上手いフェイントを見せ、丁君はドリブルで抜かれてしまった。しかしカバーに回った味方が素早くボールに寄せ切りボール奪取に成功した。

皆が言った。

「乙君は守備が下手だからドリブルで抜かれてしまったんだ」

しかしコーチは言った。

「乙君はちゃんと守備をできていたよ。だからこそ味方がボールを奪えたんだ」

次は甲君がボールホルダーにアプローチする番だった。カバーする味方にポジションを指示しながら、ボールに働きかけるというよりは、ドリブラーを誘導しているようだった。目指す先には甲君とカバーする味方との挟み撃ちのわなを仕掛けて、そこへ相手を追い込んでいった。一方向のドリブルコースを空けて誘導し、徐々にボールとの距離を縮めていく。二人の向かう先から味方が寄せて来る。挟み撃ちに気づいた相手は慌てて切り返したが、甲君はそれを予め読んでいた。素早く反応して相手とボールの間に自分の体をねじ込みボールを奪い去った」

皆が言った。

「甲君はさすがだ。味方をおとりにして自力でボールを奪い取った」

しかしコーチは言った。

「甲君のは皇帝の守備だ。自分の背後にいる味方をも支配して、守備陣の全体で一つのボールに対応していた。時間が経てば経つほどボールホルダーが数的不利に陥る状況を創り出していた。そうやって相手が早く勝負せざるを得ないように、目前の一対一のボールホルダーを急かしていた。距離を詰めてプレッシャーを掛けることも大事だが、守備の側が持っている有利な点を利用して、さらにその差を広げて安全にかつ大胆にボールを奪いに行くチャンスを生み出すこともできるのだ」

試合が終わって皆がコーチに聞いた。

「守備とはいったい何をすることでしょうか」

コーチがそれに答えて言った。

「丁君がやっていることはプレスだ。身体能力などの差があればボールを奪取できることもあるだろうが、そうでなければ抜かれるときもボール奪取できるときもどちらも偶然の出来事だ。勇気をもってプレスをかけることももちろん大事だけれど、それは守備ではない。

乙君は抜かれはしたけれども守備はできていた。丁君がボールを挟んでの相手と自分とのわずか数メートルの空間の出来事として完結しているのに対し、乙君は相手とさらに自分の背後に広がる世界の存在を感じながらプレイしていた。つまり守備をするということは、自分の背後にある世界に存在するゴールを守ることが本来の目的なのだ。自分の目の前にある空間は、自分の背後にある世界と一体のものとして捉えなければ守備ではない。極端な例で言えば、キーパーが気絶して倒れているときと、しっかり構えているときとプレイが同じはずがない。

甲君の守備は自分の背後の世界を意識しているだけでなく、そこの征服者たろうとする。最適で有機的な守備組織を構築して、ボールホルダーを挟み込むわなを仕掛ける。またはわなの存在をボールホルダーににおわせることで、より難しいプレイ選択を相手に強いる。味方との連携を図りながら、一対一のボール争奪戦を有利な状態へと作り替えていく。相手の選択の幅を狭めていきながら、なおかつ確実にボール奪取できる方策を甲君は打っていたのだ。相手は苦し紛れのバックパスに逃げるくらいしかできない状況に追い込んでいた。

ゲームの目まぐるしい展開の中で、近くの味方とシンプルに連携を高める。これはわずか数秒の出来事だが、体の向き・姿勢・視線は皇帝そのもので、また周囲の味方も有能であればこそ守備の戦力として機能するのだ」

 

皆は物語世界の広がりに驚いたとさ。

 

丁君の『球取物語』、乙君の『威勢物語』、甲君の『光君物語』、蓼食う虫は好き好きだけれども、物語の発展史的観点からすれば秀逸なのは甲君のものに思える。