絶対領域以上犯罪領域未満の際の際③サッカーと暴力

もちろん暴力は犯罪です。しかしコンタクトスポーツであるサッカーの特性として、ルールで許された範囲を超えた暴力を目にすることがある。足を蹴ったり踏んだりするのは故意か偶発事故か見分けがつかないことがよくあるけれど、頭突きや嚙みつきなど日常生活では罪に問われかねないような行為まで目撃したことがある。感情に任せて相手を傷つけようとする暴力は論外として、ある意味計算の上で何らかの結果を期待してラフプレイが行われたのではと疑われるケースがある。

例えば試合全般を通してラフプレイが頻発するときは、コーチが選手を煽りにあおって国威発揚だとか喧嘩自慢を誇示するために愚かにもサッカーを利用するのだろう。国際舞台では複雑な政治事情等が絡み合うこともあるのだろうが、サッカーを政治利用することはサッカーへの冒涜である。またそれとは違って、格下のチームが何らかのハプニングを期待してラフプレイを連発して、いわゆる「ゲームを壊す」目的の試合も考えられるが、これもいただけない。

以上のようにチームの方針としてラフプレイをするのでなく、何らかの目的を企図してある特定の場面でだけ行われることがある。そう見える。格上のチームが前半苦労して0対0で折り返した後半、フォワードの選手がディフェンスの要のセンターバックに突然飛び掛かってスパイクの底で足首付近を踏みつけた。センターバックはもんどりうって地面に倒れ込み、しばらく激痛に耐えていたが、ピッチの外へと運び出され治療を受けることになった。そのフォーワードには当然イエローカードが提示されるのだが、突然のラフプレイが訝しく思われた。試合は続行されて異変はすぐに現れた。リーダーを失ったディフェンスラインがばらつき、マークがずれ始めたのだ。直後例のフォワードが見事に(まんまと)得点を挙げた。センターバックが治療を終えてピッチに戻ったときには1対0にスコアが変わっていた。

大きな大会での出来事だがハムストリングを負傷していたフォワードが後半にはほとんど動けない状態だった。しかしチームの方針としてこの選手と一蓮托生、負けるときは彼と心中するつもりだったのだろう、彼が交代することはなかった。1対1で延長戦に突入し後半PK戦も視野に入ってきた頃、手負いのフォワードが突然敵のセンターバックの胸に強かに頭突きをした。前半にはコーナーキックからヘディングシュートで得点もしていた絶好調のセンターバックだったが、弾みで胸を押さえてひっくり返った。当然フォーワードには一発レッドカードが示され退場処分となった。後々二人の言葉のやり取りや暴挙に至った背景等が報道されたが、それはさておき身動きの取れなくなったフォワードが、プレイで貢献できなくなったチームへの置き土産に何かできないか探した結果のようにも見えたのは少し穿ちすぎだろうか。

30年来の誤謬

30年より前から今日まで日本サッカー界にはびこる誤謬が存在する。それは「守備とはボール奪取である」というものである。ディフェンスとプレスは全く違った概念の単語として捉えるべきだというのがここでの主張だ。というのも、キーパーは自ら積極的にプレスを掛けに行くことはしないが、守備をしていないわけではない。むしろ実態は逆で、キーパーが不断にしていることこそが守備の典型なのであって、ボール奪取に挑むプレイはプレスなのだ。この誤謬が引き起こす問題は、守備という語が両義的意味を帯びることで、個々の選手がそれから感じ取るイメージによって前進か後退かの行動の違いとなり、結果チーム戦術の一体性を損なうことに繋がる。この誤謬はささいなこと、言葉尻の問題として長年看過してきたが、一日本サッカーファンとして、新たな守備文化を構築し、W杯ベスト8の壁を破るためにも必要な指摘であると思うに至った。

詳細は「サッカーの基礎理論」を参照

ヘディング

ヘディングといっても頭突きの件ではない。それはまた別の機会にする。

ヘディングというあまりにも基本的な技術のことなので、本来言葉にするようなものではなく「習うより慣れろ」の次元の話だと思う。しかしせっかくなのでいくらか指摘する。

まず基本動作としては首を振らずに頭を前へ押し出し、ボールを額で叩く。飛ばしたい方行を変えたいときは上半身をねじって、顔で面を作るようなイメージで額の中央でボールを弾く。この時も頭は降らないでできるだけまっすぐ押し出す。後はジャンプしたりダイブしたりするのだけど、身体能力や運動神経が人それぞれちがうので自分に合ったやり方を見つけるしかないだろう。

次に競り合いでのヘディングについてだが、頭同士の接触を避けるため片方の腕を上げ肘を張り、自分が頭を押し出したときに相手の頭を近づかせないように防御する。この時必然的に体は腕を出した方の肩が前に出て斜めに構えることになるので、折り返し正面にボールを送る場合でも少し上半身はねじった状態になる。競り合いのヘディングの場合ボールの落下地点にタイミング良くいなければならないので、高さ、スピード、パワーのいずれかの勝負に勝たなければならない。そこで駆け引きが始まる。これも人それぞれ工夫と対策が異なるので、色々実践しながら試行錯誤して自分に合うやり方を見つけるしかない。

小柄なプレイヤーのために少々アドバイスするなら、高さで勝ち目がないとき、相手がジャンプするタイミングを狙って、踏ん張ろうとする直前ないし飛び上がりつつある瞬間にショルダーチャージをする。具体的には横から腰ごとぶつける。上手くいくと相手はジャンプできないか、斜め上に飛ぶことになり最高到達点が下がるので、高さで勝てる可能性が生じる。しかしショルダーチャージに対抗するため相手は、もっと早いタイミングで飛び上がろうとし、飛ぶタイミングと高さの兼ね合いで駆け引きすることになる。ぶつかったりあるいはすかしたり、窮屈な体勢でヘディングを強いてセカンドボールを狙うことも有効な一手段だ。

競り合いのヘディングも立場がオフェンスかディフェンスかによって、そのエリアによっても意味合いが異なってくるので、これも経験によって学ぶしかないだろう。ただフォワードがヘディングをする気もないのにファウルをもらう目的で、体を押し付けたり引っ張ったりする光景を目にするが、競り合いの時は相手の真の狙いに敏感でなければならない。相手の真の狙いは報復の顔面への肘打ちかもしれないのだから。

絶対領域以上犯罪領域未満の際の際②プロフェッショナルファウル

偉大な、惜しまれた監督も言及していたことがあったが、「効果的なファウル」というものがある。意図的だったり不可抗力が働くこともあるがファウルによって相手の攻撃の芽を摘むことである。感情的にカッとなって荒々しい振る舞いによるのでなく、冷徹に時に比較衡量の計算の上で、今ここで行うファウルとそうしないでその先に降りかかるチームのピンチとを天秤に掛ける。傍から見たとき偶発的な接触に見えるか、明白な意思によると感じられるかでイエローカードが提示されるかどうかが決まる。さらに意図的なファウルがゴールの決定機を阻止する目的で犯された場合、それはレッドカードへと変わる。一枚目と二枚目に受けるイエローカードの意味を加味し、自分が退場処分を受けたとき、チームに掛ける迷惑とこのゴールチャンスを相手から奪うことの貢献度合いを推し量る。

味方のカバーがなく自分が最後の砦となり、ドリブルで抜かされてしまうと決定的なピンチになる場合、ボールそのものというよりは相手の体幹に自分の体をぶつけるようにして相手の走路を塞ぐ。いわゆる「体で止める」こともプロフェッショナルファウルとなる。しかし切り換えの一瞬の遅れを取り戻そうとファウルによってまずい流れを断ち切り、自分のというより味方の帰陣のための時間を稼ぐ目的で、プロフェッショナルファウルはネガティブトランジッションの時にしばしば見られる。

今やるべきか、一秒後二秒後まで自重して他の手段を探るべきか、手で引っ張るか足を掛けるか体当たりか、正当性、悪質性、妥当さ、卑怯さ、突発的に起こるピンチの芽が垣間見えた瞬間にこれらの判断をすぐに下さなければならない。あっという間に迫りくる結果に立ち向かわなければならない。やるのかやらないのか。やるならいつどうやって。躊躇している暇はない。相手が自分より速いプレイヤーの場合、今を逃せば二度と機会は巡ってこない。ペナルティーエリアに侵入されてしまっても手遅れだ。PKとレッドカードのダブルパンチを喰らうことになるからだ。決断の時はあまりにも短いものだ。

ファウルなしでディフェンスできれば当然それがベストだが、そうでない場合プロフェッショナルファウルによって失点を防ぎ、レフリーの指示に素直に従いイエローカードを受けることもゲームのルールを順守する一つの方法である。

サイドチェンジの効用(2023年秋)

『天使のシュートと悪魔のパス』の中で、パスには一本一本それぞれに価値があることに言及した。プラスの価値のパスもあればマイナスのもあり、一連のものが積み重なって得点なり失点なりにつながると考えられる。そこでは特にタテパスの重要性を強調することに主眼を置いていたが、ここではヨコパスによってサイドを広げることの効用について色々指摘する。

まず単なるヨコパスでも右から来たボールを折り返して右へパスするよりも、逆にその延長線上の左方向へパスする方が価値は高い。これは一般論でなく原則である。

右から来るボールをちゃんと受けるためには既に右側の視野が確保されているはずで、さらに左方向へ蹴るためには左側の視野が必要となる。来たのと逆方向にパスをするためには、少なくとも200~300度の視界がなければ正確なパスをつなぐことはできない。周囲の状況を広く把握するためにも逆サイドを常に意識して‘’首を振る‘’ことが大切で、パスするかどうかに拘わらずできる準備はしておくべきだ。単純に視野を広げることが第一の効用である。

次に逆方向へ蹴れるのであれば折り返しのパスを出すための姿勢も取れるはずで、これも逆方向へ体を向ける準備を常にしておけば順方向へ体勢を戻すことはさほど難しくはない。ディフェンダーの存在を無視して考察すれば、例えばボール速度が極端に遅く右方向に迎えに寄らなければパスを受けられない場合、左方向へ体を反転させながら蹴ることはかなり窮屈な体勢を強いられる。しかし右方向へは体を90度捻るだけで正面になりスムーズに蹴りやすい。要は左方向へ蹴れる体勢が作れるということは、右方向には蹴れる体勢がすでにできていたかできているといえる。パスを受けるときにはいつでも‘’体を開いて‘’後ろへ振り向く準備をしておくべきだ。ボールを蹴る体勢の観点で逆方向は順方向を兼ねることが第二の効用である。

またマクロ的視野で考えるなら、右にあったボールホルダーの位置がパスによって左へと移動することで、ディフェンダーはポジションの修正を迫られる。数歩の微調整であったり大幅なスライドであったり、ボールの移動距離に従ってポジションを変えなければならない。究極的には右サイドの端から左サイドの端までボールが移動したとき、それに対応するために最大の移動距離を走ることをディフェンダーは求められる。守備のために走らされることは自分の欲求に反し心理的肉体的にダメージが大きいとも言われるが、横方向のスライドはちょうどボクシングのジャブのようにディフェンダーを疲弊させ出足を鈍らせることになるかもしれない。ディフェンダーの望まないランニングを強いることが第三の効用である。

この原理から導き出せる結論として、横幅いっぱいサイドライン上までボールを運ぶこと‘’ラインなめ‘’には価値がある。そこから逆サイドへ早くボールを持ち出せれば、サイドチェンジの振り幅が大きくなるからだ。サイドバックがオーバーラップを掛けてサイドを駆け上がるときそこへパスを出す‘’使う‘’ことは、単なるサイドアタックということを超えて最大限振り幅を広げるお膳立ての効果がある。

チーム戦術として同一サイドで個人技や瞬間的な数的有利を作って細かいパスワークでサイドアタックをする場合があるが、これはワンサイドに拘る以上タテへの強い指向性があって初めて成立する。ディフェンスがワンサイドに集結する前あるいは散在した瞬間を狙って最終ラインの突破を目指す。ボール争奪戦の接点が単純化するので、利点としては攻撃の戦術の理解しやすさであり、ネガティブトランジッションへの準備のしやすさが生じるのだ。

しかしこのタテへの強い指向性とヨコへの可能性が組み合わされば、ディフェンスへの負荷はさらに上げられる。複雑性は、それをコントロールできれば攻撃側に有利に働く。タテへの指向性を維持しながらも、それが強引であるならば逆サイドへのヨコの指向性を発揮することでサイドチェンジは成立する。タテが無理ならヨコ。ヨコパスするなら逆方向。右から来たものを左に受け流す。

サイトチェンジはスライドを強いられるディフェンダーの目先を変え、マークをずらしたり、守備ブロックを弛緩させたり、味方の逆サイドのアタッカーに呼吸を整えるゆとりを与えたり、言わばゲームの景色の模様替えの意味もある。

 

  夏暑かりし 涼風の 紅葉狩り

 

 

絶対領域以上犯罪領域未満の際の際①偽ジャッジ

先ほどラグビーワールドカップフランス大会において、日本vsイングランド戦で起きた珍事がマスコミでも話題になった。ラグビーの規則ではボールを前方へと投げてはならず、前には手からこぼしても弾くことも許されない。試合後半、イングランド選手が側方にはね上げたボールが隣の味方選手に当たって前方へ飛んで行った。日本選手たちの目にはノックオンの反則があったように映った。皆の足が止まりプレイが中断した瞬間審判の声が発せられた。「プレイオン」反則を知らせる笛は鳴らなかった。転々とするボールを近くを走っていたイングランド選手が拾い上げ、独走で悠々とトライを奪った。ノックオンに思われたプレイは実は、選手の振り上げた手にではなく額に当たったボールが前方へ弾き飛んだのだ。一連の流れはヴィデオ判定により確認されトライが成立した。

閑話休題、サイドをドリブルで突進するフォワードが並走するディフェンダー接触し、つんのめって頭から芝の上を滑るように転んだ。ディフェンダー達はその派手なヘッドスライディングを見て、危険なエリアでのファウルを疑った。正当なショルダーチャージでノーファウルをアピールしようと、数人のプレイヤーがレフリーに向かって声を上げた。接触した当のディフェンダーは振り返って身振りを手振りでレフリーに抗議した。しかし実際にはホイッスルは鳴らなかった。ピッチに腹ばいで倒れたプレイヤーは間髪を入れず立ち上がり、前方を転がるボールを追い駆けた。この瞬間立ち止まったデイフェンダーフォワードの距離は5メートル程に開いていた。素早くボールを回収したドリブラーは、結果的にサイドアタックに成功し最終ラインをすでに突破していた。

中央で待ち構えていたストライカーは一連の流れに上手く反応してフリーになった。サイドでフリーのドリブラーと中央でフリーのストライカー、クロスを合わせてゴールを決めることは簡単だった。一度足を止めたディフェンダー達が慌てて再び走り出したが後の祭りだった。

子供時分に耳にたこができるくらい聞かされたものだが、自分勝手に判断してプレイを止めてはならない。レフリーが間違えることだってあるのだから、ホイッスルが鳴るまでプレイを続けなければならない。昔、ドリブルをしていたプレイヤーがディフェンダーの目の前で突然立ち止まり、ファウルの判定に抗議をするかのようなジェスチャーをしてボールを拾い上げようとした。ディフェンダーはホイッスルの音は聞こえなかったが、何のファウルがあったのか確認しようとレフリーの方へ顔を向けた。その瞬間ドリブルを再開したプレイヤーはディフェンダーをあっさりとかわし置き去りにした。審判を欺く行為は反則だが、相手を騙すのは対戦型のスポーツでは当たり前のことである。

 

マンツーマンディフェンスは戦術か否か推敲する

エリアに拘泥せずディフェンダーが一人の相手プレイヤーをマークし続けることをマンツーマンディフェンスと言う。

『基礎理論』の中でマンツーマンディフェンスについては一度も言及しておらず、隔靴搔痒の感を抱かれる方もいるかもしれない。理由は単純で、考察モデルの設定としてプレイヤー全員の身体能力・技術・経験が同じことを仮定しているからである。この条件下でフルコート・マンツーマンディフェンスを導入したゲームをシミュレイションすると、互いにゴールを奪えないか、各チームが順繰りにゴールを分け合うかの二者択一の結果しか得られない。ゆえにマンツーマンディフェンスを俎上に載せることはなかった。

ゴール前でのフリーキックコーナーキックの時等、狭い限られた範囲でのマンツーマンディフェンスは頻繁に見かけるが、フルコートでは珍しい。あるいは特定のプレイヤーにだけフルコート・マンツーマンディフェンスし続けることは昔(40年前)から見られたが、フルコート・オールフィールドプレイヤー・マンツーマンディフェンスは稀だ。これらの現象が意味することは何か?

例えゾーンディフェンスといえども、自分の担当エリアに侵入して来るプレイヤーを捕まえることを目的として守備ブロックを敷くのであって、ディフェンダーはゾーンの内側でただ突っ立ていても仕方ない。担当エリアの内部に侵入してきた相手プレイヤーとミクロ的に正しいポジションで対峙して初めてディフェンスと呼べるのだ。とどのつまりは「人を捕まえる」ことが重要で、それぞれの立ち位置のスタートポジションとしてブロックを組織すのがゾーンディフェンスである。よって狭い限られたエリアの中では責任を明確化し、それぞれが予めマークすべき相手プレイヤーを決めて追い回すマンツーマンディフェンスが効果を発揮する。誰が誰を追跡するかやスペースもエリアも考慮する必要がなく、決められた相手プレイヤーだけを封じることに専念すればよいので守備が機能しやすい。また1人ないし2人の相手プレイヤーに対するフルコート・マンツーマンディフェンスの場合も、ゾーンディフェンスのディフェンダーのスタートポジションが周囲との相対的関係によって決まってくるのに対し、こちらはマークすべき相手プレイヤーとの絶対的関係のみに留意してミクロ的に正しいポジションを取れるので最適なスタートポジションを能動的に選択することが常時可能となる。つまりマンツーマンディフェンスとはマクロ的視座を捨象してミクロに照準を合わせる守備の方策と言える。

欠点としては、マークを担うディフェンダーのマクロ的ポジションを決定する上で相手に支配的地位を与えてしまうことだ。マクロ的な見方を放擲する以上必ず起こることだが、マークすべき対象が自由に移動することでディフェンダーはピッチのどこへでも誘導される羽目になる。マンツーマンディフェンスが徹底すればするほど、攻撃側にとっては返って好みの局面を生み出しやすくなる。ピッチの中のプレイヤーの工夫次第でディフェンダーは受動的に操縦され、守備の混乱を簡単に引き起こされるかもしれない。

またフルコート・オールフィールドプレイヤー・マンツーマンディフェンスは、個々のプレイヤーの実力が拮抗しているならまだしも、明らかに個人の力量に差があるとき破滅的な結果をもたらすだろう。1対1等のある局面において一方的な支配が行われ、それを繰り返すとき、同一条件下ではその局面を打開することが不可能だからだ。個人の能力に顕著な違いがある場合、劣位のチームはこれを作戦として採用すべきでない。

そこで考えられる対策としてゾーンディフェンスのエッセンスを取り入れ、ある程度ライン(列)やレーンを念頭に置いたフルコート・マンツーマンディフェンスで、例えば2列目のプレイヤーは1列目のプレイヤーを追い越してまではマークすべき相手を追尾しない等の“縛り”を掛ける。そうすることで、最終ラインでの人員不足を回避することが期待できる。

マンツーマンディフェンスが昨今でも選択される理由として、最終ラインからのビルドアップしてくる相手チームに対して、戦術としての前線からのプレスを効果的にする一手段となっているからだ。フィールドプレイヤー全員に的確なマークが着くことで、パスを繋げるコースが相当限定される。よってキーパーがビルドアップに参加することを強い、無人のゴールを背負ってのボールコントロールを余儀なくさせる。完全には避けられないヒューマンエラーと神経をすり減らすような緊張を乗り越えなければ、ビルドアップを成功させられないのだ。他方、ディフェンスチームが引き受けなければならないリスクと言えば、ボールが相手陣深くにある限り、最終ラインで同数になり一人の余裕もなくなることだけである。しかしビルドアップが功を奏しボールが自陣深くに侵入して来ると、その時は大きなスペースで同数のディフェンダーで守備をする憂き目に遭うことになるが・・・。

結局マクロ的視点を欠いた戦術はありえないのだから、マンツーマンディフェンス自体は戦術というよりは、方策・方便である。ただしゾーンディフェンスの要素を取り入れながらマンツーマンディフェンスを併用することは可能であり、積み上げ可能な地平としてのプレスや守備の戦術となりうる。しかし眼光紙背に徹するごとくピッチを見つみればマンツーマンディフェンスは、ある相手プレイヤーに対して一人のディフェンダーが守備をしやすくするという工夫であり手段であって、1対1のミクロな守備の問題に究極的には還元されるのだ。